群馬県高崎市にある僕が週一で通うロースター「tonbi coffee」。 厳選されたコーヒー豆の販売と隣に併設されたカフェでは淹れたてのコーヒーと奥様の作る美味しいケーキがいただける小さな名店だ
コーヒー好きだったら知らない人はいないであろう世田谷の堀口珈琲で7年間焙煎作業という最も重要な任務を担当し、群馬に戻り2006年7月に開業、今年で10周年を迎える。 25年もののビンテージ焙煎釜でご主人の間庭さんによって焼かれた豆はここ群馬にとどまらず全国に多くのファンを持つ。都内ではDEAN & DELUCAなどでも購入可能だ。
間庭さんは、学生時代、吉祥寺のもか、銀座のカフェ・ド・ランブル、十一房珈琲店、渋谷の茶亭 羽當、南青山の大坊珈琲店などマスターのいる喫茶店が大好きだったそう。
「コーヒーを飲みに行くとマスターが手品を見せてくれたり独特の世界がたまらなかった。当時はコーヒーが美味しいとか不味いとかなんてまったく考えずに純粋にその雰囲気や楽しさに魅了された。そんな喫茶店に入るとカウンターの向こう側の仕事が興味津々で注意深く観察するのも楽しみだった。おそらくマスターからしたら変なやつが来たなぁと思っていたでしょうね...笑。そしてこんなおもしろい仕事もあるんだなぁとぼんやり考えていた。」と語る。
コーヒーの道を目指すようになったきっかけは?
当時大学の下宿先から近かった堀口珈琲の社長に勇気を出して、どうやってみなさんコーヒーショップを開店してるんですか?と聞いてみたんです。学生だったから聞けた質問ですよね。そしたら社長にちょっとそこ座れよと言われ、いい店で働けば一流になる可能性はある、、というような話をされて、いきなりこの人は何を言ってんだと思ったわけなんです。そして立て続けに、明日からお前来ればいいじゃんと言われたんです。そこからバイトをしたのがきっかけです。強引に引っ張ってもらったってのが始まりですね、、笑
最初はどんな仕事をしてたんでしょうか?
コーヒーを淹れるのはバイトだったんでさせてもらえなくて、ホールや掃除など雑用がメインの仕事です。
堀口珈琲では何年くらい働いたんですか?
その当時は学生のバイトだったんで辞めて群馬に帰るんですよ。普通にスーパーマーケットに就職したんです。ま、普通に楽しかったんですけど、このまま行くのかなぁなんて思って、就職して2年くらい経ったところで、見透かしたように堀口社長から電話が来て「お前、いつまでそんなところで働いてんだよ、戻ってこいよ」と言われて、なんとなく自分でも腹が決まっていたんでしょうね、じゃぁ行きますと即答してまた戻るんです。で、そこから7年間働きました。
そんなラブコールかあるってことは堀口社長は当時のバイトくんだった間庭さんが気に入ってたんですかね?
うーん、使いやすいやつだと思ってくれてたんでじゃないでしょうか、、笑
堀口珈琲に戻ってからは?
はい、僕だけひとり若くて、みんなパテシエだったりなんらかの職人なわけなんですよ。だから小僧とか呼ばれながら下働きから始めました。まずはカフェの方でコーヒーを淹れる勉強をさせてもらって、1年くらいしてから焙煎の仕事に就かせてもらって豆について深く学ぶようになりました。
焙煎はコーヒーを語る上でかなり重要であると思うんですけど、実際にその作業をしてみていかがだったですか?
焙煎はする人によって同じ豆でもまったく違うものになるんですよね。当時から堀口は相当な有名店だったので、その名を汚してはいけないと夢中でやっていました。学生時代に喫茶店を楽しんでいた自分は消えましたね。完全に作り手の目線に変わりました。
ここ数年でよく耳にする言葉「スペシャルティコーヒー」とは簡単に言うとどういうことなんですか?
今までのコーヒーっていうのは国名はわかるけれども、そっから先が何にもわからない、たとえばブラジルって広大な土地の中でどんなエリアでどんな人がつくっているのか、というのがはっきり見えているコーヒーってことですね。それにプラスして、人間の官能評価が入ります。ここの線引きが一番難しいのですが、優れた点を客観的に評価します。風味の何かが優れていないとスペシャルティとは言えないわけです。
現地のクオリティーコントロールなんかもしてるんでしょうか?
かなりしています。今までは生産者は作っておしまい、商社が持って来ておしまいだったものが、ダイレクトに生産者と繋がったことで出来が悪ければクレームも付けるし、今はカッピングなどのコーヒーの価値基準の物差しがはっきりしてきているので、クオリティーコントロールもそうですが、好みとはまた違ったどんな特徴があるのかという別の世界が開けてきていると思います。
輸送技術も上がっていますね?
そうですね、昔は麻袋なんかで運んでいたものがここ十数年で技術が上がりガスや窒素を使って完全密封で輸送されるようになりました。
最近日本でもサードウェーブコーヒーブームと騒がれていますが、サードウェーブとはどういうことなんでしょう?
今一般的に日本で盛り上がっている状況は、サードウェーブチルドレンと言わせてもらいたいんです。今の時点で20年以上のキャリアを持っていなければ本当の意味でのサードウェーブは語れないんです。僕ら焙煎業者たちが本当にもがき苦しんで生産者さんたちとダイレクトに繋がることができた、この一連の行動をサードウェーブと呼べるんじゃないかなぁと思っているわけなんです。その後に、カフェで新しい抽出方法をやるとか、焙煎に拘るというのは、あくまでも飾り的なことなんです。今は都内とかでもコーヒーがブームでうれしいなぁと思っているんですけどね。今は誰でもお店を開けて良い豆も簡単に買えますから。
tonbi coffeeの入り口を入ると、ズドンっと焙煎機が見えますけども、あれはどういったマシンなんですか?
僕が働いていた堀口珈琲の社長が創業のときに導入した釜なのでもう25年くらい前のものです。珈琲サイフォン株式会社、後のコーノさんですね、日本のマニアックなコーヒー会社なんですけども、当時2代目の社長さんと堀口社長が焙煎釜のカスタマイズをやっていて、その改良機の第二号機なんです。バーナーの本数を増やしたり、バーナーとドラムの距離を空けてみたり、強制排気のファンを付けてっていうようなどうなるかわからない実験を繰り返しながらやって出来上がったマシンなんです。今思うとこの日本の釜ってスズキの軽自動車のようなイメージですかね、一方で外国産のものはやっぱりベンツみたいな。
日本車は非力で安定していない?
そうですね、鉄板も違うんですよ。今だったら日本の釜もだいぶ安定したんですけど、当時は不安定な要素がたくさんあって、そんな中でどうやったらベストな焙煎ができるかって研究してきたんです。
新しいものに買い換えようとは思わないですか?
僕の気持ちとしては、これはただの古い釜とは違うんです。いろいろな思い出もあったりするんで、これはずっと動かし続けようと思っていますね。もし新しいのを買っても、これを隣に並べて一生使い続けます。
今年で10周年、この10年を振り返っていかがですか?
正直始める前は豆なんて売りづらいだろうなと、実際に最初は商売もたいへんでした。地方の人は東京にしか良いものがないと考える人が多いので、このくやしさをいい意味でカンフル剤にしながら毎日淡々と自分の仕事をこなしてきました。そして来てくれたお客様にはただでは帰さないぞ!という魂だけはあったんで、そしたら群馬のお客様にも認めていただいて、今では東京から来ていただいているお客様もいます。
最後に、ひとことお願いします。
足掛け20年くらいコーヒーに関わってきて、進化もしてきたけど変わらないものは変わらない、そして自分自身の楽しみも広がった気がします。コーヒーにはいろんな楽しみ方があるんで何でも聞いてもらって家でもコーヒーを楽しんでいただきたいなぁと思っています。僕の仕事は豆を焼く仕事ではあるんですけど、いま一番大事に考えているのはコーヒーを楽しんでもらうためのフォローをしっかりすること。どんな質問にも答えますし、ドリップしている所を観察してもらって盗んでもらってもかまわない。コーヒーは決して敷居の高いものではないんで気軽に楽しんで貰いたいですね。
店主に質問して、カウンターの奥の仕事を観察する、それはまさに間庭さん自身が学生時代にしてきたことじゃないですか。
あはは、そう言われてみたらそうですね、、、笑
コーヒーに関する書籍や道具もさまざまな種類のものが展示販売されている。
10周年を記念するオリジナルマグカップは光栄にも僕ハイロックがデザインさせてもらった。
http://tonbi-coffee.shop-pro.jp/?mode=cate&cbid=210602&csid=9
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tonbi coffee(トンビコーヒー)
【所在地】 群馬県高崎市菅谷町531-10
【電話】 027-360-6513
【営業時間】 10:00~19:00
【定休日】 火曜日、第1・第3水曜日
【HP】 http://www.tonbi-coffee.com/
※前橋ICより車で約15分
※高崎駅より(群馬バス)イオン高崎行もしくは三愛クリニック行乗車
→「棟高東」停留所下車徒歩10分
※上越、両毛線「井野」駅または「新前橋」駅からタクシー20分
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